障がい者生活のセイタロウです。
このブログのこの記事をご覧くださりありがとうございます。
※※※この前書きは【1巻を読んで想うこと…】と共通の内容を引用しています※※※
私は、頸髄損傷(受傷部位:C6)四肢麻痺という比較的重度な身体障害がある手動車いすユーザー です。
普段は障害のある方々の支援をする某障害者生活支援センターに勤務して相談支援業務を行っておりますが、そういった日々の業務経験を積み重ねるうちに、いつしか社会保障制度や社会福祉全般に詳しくなり、気が付けば社会福祉士という資格も取得することが出来ました。
そんな私セイタロウですが、そういった仕事を通じて身体、知的、精神という障がいがある方々と交流を深めたり支援をさせていただくなかで、障がい者の生活について今まで以上に興味と関心を持つようになりました。
参考
セイタロウのプロフィール障がい者生活管理人&著者セイタロウの自己紹介
プロフィールにも書いてあるのですが、私セイタロウは映画や読書が好きなのですが、読書については小説や啓発本や専門書なども読みますけど、やっぱり漫画も大好きです。
好きな漫画は、週刊少年ジャンプを読んで育った世代なのでドラゴンボールや、シティーハンターや、スラムダンクなどなど(世代がよくわかると思います(笑))書き出せばキリがありません。
実は最近はあまり漫画を読めてはいなかったのですが、それでも車いす利用者が登場人物として描かれている漫画は、やはり自分も車いす利用者だけに気になって読んでしまいます。
車いす利用者、特に脊髄損傷という人が主役で描かれている漫画といえば、井上雄彦さんの作品である「リアル」が有名ですが、今回は2018年10月に映画公開された「パーフェクトワールド 君といる奇跡」の上映によって、有賀りえさん原作の本作品を知り、瞬く間にその世界観に引き込まれていきました。
今はただの車いすに乗ったおじさんとなってしまった私ですが、こんなおじさんでも本作品を読み返す度に胸がキュンキュンしてます(笑)
決して胸の動悸ではないと思います(笑)
さて、またまた前置きが長くなりましたが、今回、有賀リエさん原作の「パーフェクトワールド」が、「2019年4月/カンテレ・フジテレビ系4月クールの火9ドラマ」の全10話が放映されました。
ドラマを見終えての感想は、原作とは違った人物設定やストーリー展開があり、新たな作品として楽しめたり感動できるポイントもたくさんあって、大変見ごたえのあるドラマであったと思います。
松坂桃李さんや山本美月さんの演技も魅了され、ドラマにのめり込んでついつい涙してしまいシーンも多くあり、とても感動の多いドラマでした。
ブルーレイやDVDも発売されるようなので、気になる方は是非チェックされてみてください。
パーフェクトワールド DVD BOX/DVD/PCBE-63790
パーフェクトワールド 作品紹介
原作紹介 単行本 1巻~9巻
【漫画【パーフェクトワールド1巻】
作品名:パーフェクトワールド(1)
発行日:2015年2月13日発売
著 者:有賀 リエ
発行所:株式会社 講談社[〒112-8001東京都文京区2-12-21]
内容紹介
インテリア会社に就職した川奈つぐみ(26歳)は建築会社との飲み会で、高校の時の同級生であり初恋の人・鮎川 樹と再会する。樹にトキメキを覚えるつぐみだったが、彼は車いすに乗る障害者になっていた。「樹との恋愛は無理」。最初はそう思うつぐみだったが……。
Amazonより引用
【漫画【パーフェクトワールド2巻】
作品名:パーフェクトワールド(2)
発行日:2015年8月12日発売
著 者:有賀 リエ
発行所:株式会社 講談社[〒112-8001東京都文京区2-12-21]
内容紹介
車イスの乗る初恋の人・鮎川 樹と付き合い始めた川奈つぐみ。しかし愛が深まれば深まるほど、現実の厳しさに直面していく。そして樹を想う介護ヘルパー・長沢、つぐみを想う同級生・是枝の登場で感情の歯車は次第にくるい出していく――。
Amazonより引用
【漫画【パーフェクトワールド3巻】
作品名:パーフェクトワールド(3)
発行日:2016年3月11日発売
著 者:有賀 リエ
発行所:株式会社 講談社[〒112-8001東京都文京区2-12-21]
内容紹介
車イスに乗る初恋の人・鮎川 樹と付き合い始めた川奈つぐみ。しかし周囲の厳しい視線のなか、つぐみは体調を壊し駅のホームから落下、大怪我を負ってしまう。つぐみは療養のため故郷・松本へ帰る。さまざまな試練の中で、樹はある決意をする。それは――。
Amazonより引用
【漫画【パーフェクトワールド4巻】
作品名:パーフェクトワールド(4)
発行日:2016年9月13日発売
著 者:有賀 リエ
発行所:株式会社 講談社[〒112-8001東京都文京区2-12-21]
内容紹介
旅行先の観覧車の中で樹から別れを切り出されたつぐみ。それを受け入れたつぐみだったが、想いは残ったままだった。そんなつぐみに片想いする是枝が突然の告白。つぐみの決断は!? そして樹を見守るヘルパーの長沢が樹に語る「ある真実」とは――。
Amazonより引用
【漫画【パーフェクトワールド4巻】
作品名:パーフェクトワールド(5)
発行日:2017年3月13日発売
著 者:有賀 リエ
発行所:株式会社 講談社[〒112-8001東京都文京区2-12-21]
内容紹介
樹と別れ故郷・松本へと帰ったつぐみは、ある嵐の夜に是枝と結ばれる。樹のことを振り切ったつもりのつぐみだったが、車イスに乗る楓と彼氏・圭吾が建てようとしている家の設計を樹が断ったと知って、動揺してしまう。一方、樹と長沢の関係にも変化が訪れて…。
Amazonより引用
【漫画【パーフェクトワールド6巻】
作品名:パーフェクトワールド(6)
発行日:2017年9月13日発売
著 者:有賀 リエ
発行所:株式会社 講談社[〒112-8001東京都文京区2-12-21]
内容紹介
車イスに乗る楓と圭吾の家の設計を断った樹。つぐみは樹を説得するために東京へと向かう。二人は久々に再会、つぐみは複雑な心境の中、楓と圭吾の家への想いを樹に伝える。その熱意を受け取って樹は設計することを了承する。樹は不意につぐみに問いかける。「大事にしてもらってる?」 それに対するつぐみの言葉は――。二人の想いがぶつかり合う必見の6巻登場!
Amazonより引用
【漫画【パーフェクトワールド7巻】
作品名:パーフェクトワールド(7)
発行日:2018年4月13日発売
著 者:有賀 リエ
発行所:株式会社 講談社[〒112-8001東京都文京区2-12-21]
内容紹介
樹と一緒に建築の仕事を始めたつぐみ。仕事は順調に進み上棟式の朝を迎えるが、大きな地震が起こり、つぐみは樹と連絡が取れなくなる。震災を知った是枝と長沢は東京から車で松本へと向かう。つぐみは圭吾の力をかりて余震の中、樹の家までたどり着く。そこで見たものは?
Amazonより引用
【漫画【パーフェクトワールド8巻】
作品名:パーフェクトワールド(8)
発行日:2018年9月13日発売
著 者:有賀 リエ
発行所:株式会社 講談社[〒112-8001東京都文京区2-12-21]
内容紹介
震災の夜、避難先の車の中で一夜を過ごした樹とつぐみ。翌日、是枝と長沢が東京から駆けつける。樹は長沢と一緒に避難することになり、二人は再び別れる。だが是枝は二人が車中で過ごしたことを知ってしまう…。つぐみは友人の舞花に誘われて東京に出る。舞花は車イスに乗る恋人・晴人と別れていた。別れたことに「後悔はない」とうい舞花と晴人。その夜、是枝の家に行く予定だったつぐみが向かった先は樹の元だった。
Amazonより引用
【漫画【パーフェクトワールド9巻】
作品名:パーフェクトワールド(9)
発行日:2019年3月17日発売/2019年3月17日現在までに全9巻発刊
著 者:有賀 リエ
発行所:株式会社 講談社[〒112-8001東京都文京区2-12-21]
内容紹介
再び想いが交わったつぐみと樹。二人の関係を知った是枝は苦悩しながらも「もう二度と川奈の手を放すな」と樹に告げ、自ら身を引く。長沢も樹の気持ちを確認し、最後の想いを伝えて別れを受け入れる。しかしつぐみの父は二人が付き合うことに猛反対し認めてくれない。説得するために樹はつぐみの父が入院する病室を訪れるが…。
Amazonより引用
ちなみに私セイタロウは、電子書籍にて愛読しております。
漫画ストーリ動画
YouTubeの漫画紹介(テレビドラマとの違いも確認してみてはいかがでしょうか?)
2018年10月には映画化!
作品名:映画『パーフェクトワールド 君といる奇跡』公式サイト:http://perfectworld-movie.jp/
監 督:柴山 健次
主 演:岩田 剛典(三代目 JSoul Brothers)・杉咲 花
出典:http://perfectworld-movie.jp/
予告編動画はこちら↓
2019年4月3日水曜日にはBlu-ray&DVDも発売されるようです。
2019年4月ドラマ化!
カンテレ・フジテレビ系4月16日の火曜日9時 ドラマ『パーフェクトワールド』
『いつかこのドラマが ただのありふれた ラブストーリーに なりますように。』
主演:松坂 桃李・山本 美月
パーフェクトワールド ドラマ公式サイト:https://www.ktv.jp/perfectworld/index.html
大変な人気作品となってきており、いまだ熱冷め止まぬどころかテレビドラマまで始まるので、今後ますます注目の作品となること間違いなしですね。
ドラマ紹介の動画が消えてしまったので、パーフェクトワールドのチェインストリーをご紹介させていただきます。
さらにドラマパーフェクトワールド主題歌 菅田将暉さんの「まちがいさがし」PV
パーフェクトワールド DVD BOX/DVD/PCBE-63790
パーフェクトワールド1巻と私【障害者となった私の生き方】について
【※当ブログ内 漫画パーフェクトワールド1巻を読んで…の内容より転載】
さて、このパーフェクトワールドの1巻を初めて読んだときに、僭越ながら私セイタロウ自身の体験と重なる部分があまりにも多くて、一気に作品の世界に引き込まれて行った訳ですが、脊髄損傷(私の場合は脊髄の頸髄という部位の損傷なので詳細には頸髄損傷となります)によって身体障害者となる者は、それまでの健常者という状況から、ある日を境に一転して障害者となるので、どんな脊髄損傷者にとってみても主人公の樹と同じ境遇を多かれ少なかれ体験します。
しかし、そのどの脊髄損傷者も体験する境遇を絶妙に捉えて描写した本作品だからこそ、同じ脊髄損傷者の私にとっても違和感なく作品の世界観に入り込むことが出来たのだと思い、そういった意味では脊髄損傷者の心理をよく理解されている作品だと思います。
逆に言えば、脊髄損傷者の心理を理解したいのであれば、本作品は大いに参考になる作品といえるでしょう。
あなたは
障害のある恋が
できますか?
本作品より引用
冒頭、この言葉から始まる本作品ですが、これは障害当事者の周囲にいる健常者に向けた言葉のように思えますが、作品を読んでいくうちに障害当事者である本人(本作品でいうと樹)が自身の身体に障害があることによって心を閉ざし、周囲との自分との間に大きな壁を築いてしまっているが故に、お互いがその障害を越えて恋をする勇気をテーマとした作品なのだと思いました。
これは樹とつぐみの障害者と健常者との恋だけに言えることではなく、健常者同士の恋であっても距離や、家柄や、立場の違い等によって様々な「障害のある恋」が存在しますが、本作品は「恋をするのに障害はつきもの」、「どんな恋でも勇気が必要」と、障害者とか健常者とか関係なく恋をする人々すべてに共通する課題をテーマとして取り上げている作品だからこそ、これだけ多くの人々の共感を呼ぶ作品になっているのだと推察します。
私事ですが、思い越せば私が交通事故をしたその当時まだ19歳だった私は、自分の身体がこの先ずっと障害がある動かない身体であると理解するにつれて、「もうバイクも乗れないな…」、「もう買い物も一人でできないな…」、「もう恋愛もできないな…」などなど、自分のできなくなったことをリスト化して、それを一つずつゆっくりと、現実と向き合うという心の奥歯で咀嚼しながら、自身の腑に落としていった時のことを思い出します。
それでも、支えてくれた家族や友人のおかげで、自分ができる事を一つずつ見つけて、社会といトレーニングマシンによって、じっくりと着実に心の筋肉を鍛えていき、今では社会福祉士という国家資格も取得して、逆に自分が障害がある方々の支えになれるように相談員(ソーシャルワーカー)として活動できています。
本作品では、樹が一級建築士の資格を障害にも負けずに取得していたのですが、そこに至るまでの樹の死ぬ程の努力や苦労は計り知れなかったであろうと、私自身が大変共感できるポイントでもあります。
次がある保証もないのに
いつ死ぬかもわからないのに
今やらなきゃダメなんだ!!
本作品より引用
この言葉は、樹が任されている仕事や、従事している職場や、彼の根底にある生きざまに関する彼の”哲学”を現した言葉ですが、障害があって働くとどうしても”健常者よりも劣った人”とレッテルを張られた状態からのスタートとなるので、そのレッテルを剥がすためには、我武者羅に必死に仕事や社会にしがみついて生きていかなければなりませんが、樹はあえてそのいばらの道を選んだ人生を生きているのだと思います。
昨今の障害者の社会進出によって障害者の活躍の場は広がり、障害者が活躍しやすい社会となってきましたが、私が障害者となった約30年前は障害者が社会に出て活躍したいなどと言っただけで嘲笑されるほど厳しい状況だったので、その時代と比べたら格段に暮らしやすい世の中になったと実感しています。
それでも”健常者よりも劣る障害者”といった人々の意識は根強くあり、そういったものへ抗わずに生きていく道もあって、それが決して悪いことではないのですが、樹の男前の性格がその選択を受け入れられなかったのでしょう。
私セイタロウの場合は、今の相談員(ソーシャルワーカー)の職に就いてから満7年を超えようとしていますが、最初の4~5年まではやはり樹のように”劣った人のレッテル”を剥がしてやろうと躍起になって我武者羅に働いていたように思いますが、いつの日かそんな自分が周囲から認めていただけてもらっているように感じることが多くなり、個人的に指名されて相談を投げかけられることも増えてきました。
おかげさまで今となっては、劣った障害者とみられることも少なくなったように感じますが、やはり自分の居場所や価値は自分出来る開いていかなければならず、待っているだけではレッテルを剥がすことが出来ないと思うので、樹が必死でしがみつく理由がとてもよく解ります。
しかしこれは、障害者でも健常者でも関係なく、やはり自分の道を切り開くも閉ざすも自分次第でしょう。
さて、とはいうものの本作品の大前提として、やはり樹は男前のモテ男という事が随所で描かれています。
私は健常者の頃も今もそんなにモテた記憶もないので、正直そのモテモテ感については全く共感できません(笑)
それでも樹のように男前で誠実な性格であれば、つぐみのような女性がほっておけないことは理解できるので、今後は私も樹のように性格だけでも男前になれるように努力を勤しんで参ります。
本作品は基本的に純愛をテーマとした作品だと思うのですが、読み進めていくうちに脊髄損傷者の特性や、心理や、置かれている社会状況が、細かく丁寧に描写されていることがよく解る作品だと思います。
そんな中で閉ざしてしまった樹の心を、つぐみが徐々に溶かしていくのですが…
パーフェクトワールド2巻と私【困難を乗り越えるために必要なこと】について
【※当ブログ内 漫画パーフェクトワールド2巻を読んで…の内容より転載】
さて、前回パーフェクトワールド1巻についてのブログを更新し、今回はこのパーフェクトワールドの2巻となります。
前の1巻で付き合うこととなった樹とつぐみですが、この2巻では脊髄損傷者のリアルすぎる恋愛あるあるについて話が展開されていきます。
私セイタロウも同じ脊椎損傷者として、また恋愛経験者として、このパーフェクトワールド2巻のあまりにリアルな感情の描写に読んでいるこちらが切なくなって、その昔の苦しんでいた若かりし頃の記憶が蘇ってきます。
ネタバレになりたくないのであまり詳しくは書きませんが、樹が全く足の感覚がなく、全く歩行できないからこそ樹の葛藤は自身を苦しめ、その苦しみを感じるつぐみは誠心誠意、樹が苦しまないように支えようとするのですが…あぁなんと切ない。
樹とつぐみは互いに誠実な人柄だからこそ、このような切ない物語へとなっているのですが、リアルな現実世界では脊椎損傷者と健常者との恋愛観も人それぞれで(当然ですが…)、このパーフェクトワールド2巻で描写されている樹とつぐみほどシリアスに捉えずに、フランクにありのままで交際や結婚しているカップルも多くいます。
思い起こせば、私も若かりし頃の脊椎損傷者になりたての頃は、もう一生恋愛なんてすることはない…と心に決めて、素敵な女性が目の前に現れてもあえて避けていたり、なるべく女性との恋愛とは関係のない違うことを考えようと無駄な努力をしていたものです。
今思えばそれは、相手に対して他の健常者と同じような幸せを、障害者である自分が提供することが出来ないという思い込みと、単純にそれが出来ない事によって健常者と障害者である自分を比べられて自分が傷つきたくなかったんだと思います。
ところが障害者となって何年かした頃に、そんな私にも、障害者となって初めて恋愛をするチャンスが訪れました。
それまで恋愛はもうしない…と心に決めていたのに、いったいどんな心境の変化が?と思うかもしれませんが、大きなポイントは2つありました。
1つめは、当時リハビリ病院を経てから、宿泊型自立訓練施設へ入所して、自分のできる事を一つずつ増やしていく訓練をしていたのですが、訓練を進めていくにつれて一つずつ出来る事が増えてくると、それは小さな成功体験となってやがて自分の自信となって蓄えられていきます。
やがてその自信が蓄えられればられる程、それまでは絶対無理だと思っていたことも、ひょっとしたら出来るかもしれないと思えるようになります。
つまり、積極性が芽生えるのです。
そうなると、自分なんか恋愛なんて…と思っていた心もやがて、もしかしたら恋愛も出来るかも…と思えるように変化していきました。
2つめは、当時入所していたその宿泊型自立訓練施設には、私と同世代の若者が多く居たのですが、その若者の中の何名かは脊髄損傷になってからできた彼女と交際していたのです。
始めの内は、脊髄損傷になってから彼女が出来る奴なんて、私にはない何か光るものがあるからこそそんな神業が出来るに違いない…と思っていました。
しかし、そんな彼女持ちの一歩先行く彼らと仲良くなり観察していく内に、その理由の最たるものが“行動力”であることに気づいたのです。
それ以外は私と変わらないいたって普通の人間だと気づき、自分に足りないものが何かも少しずつ分かってきたのですが、肝心の行動には失敗も付き物、つまり行動力のある人間は失敗も恐れない人でもある訳ですが、そこを1つめの自信が補ってくれたように思います。
2つめの補足として、同じ男として負けていられない…という負けず嫌いも大いに背中を後押ししてくれました。
さらに言えば、宝くじも買わなければ当たらないのと同じように、行動に出なければ何一つ変わらない、ということです。
パーフェクトワールド2巻の内容からだいぶ逸脱した思い出話を書き記してしまいましたが、障害者と健常者の恋愛初心者であった樹とつぐみは、初心者が必ず通る道において困難や失敗に動揺してしまい、次第に二人の関係性の歯車が乱れていってしまったように思いました。
本作のパーフェクトワールド2巻には、「障害者と健常者の恋愛において必ず訪れる○○」についての描写が多かったように思いますが、ここで改めて現実社会のリアルでもある○○についていくつか書き出してみます。(○○とは困難とか試練といった言葉が適当ではないかと思います。)
・障害者⇒健常者:不幸にさせていないだろうか? 幸せだと思ってくれているだろうか?(樹の想い)
・健常者⇒障害者:自分に対して我慢していないだろうか? 心を開いてくれるだろうか?(つぐみの想い)
・健常者の友人知人⇒障害者と付き合っている健常者:どうしてあの人(障害者)と付き合うようになったの?(特に男性から女性に対しての言葉(是枝からつぐみへ…といったようなイメージ))
・親や親族⇒障害者と付き合っている健常者:交際反対や交際に対して受け入れられない態度の表明(つぐみの両親の反応)
その他にも細かな点においては様々ありますが、代表的なあるあるとしてはこのようなことだと思います。
だからこそ、このパーフェクトワールド2巻がいかにリアルに描かれているか、感心しながらも作品の世界に引き込まれていきました。
それに、樹の男前な性格と、つぐみの可愛らしくも健気な乙女心が、この物語をより一層切なくも魅力的にしています。
ちょっと余談ですが、それにしても樹のモテモテ振りはやはり群を抜いていると思います(笑)
私が樹の立場であったなら、間違えなく長沢さんに惹かれてお付き合いしてると思います…ってところが私が非モテ人生を歩んでいる要因かもしれません(汗)
それにしても、前作の1巻同様に、このパーフェクトワールド2巻も基本的に純愛をテーマとした作品ですが、読み進めていくうちに、やはり脊髄損傷者の特性や、心理や、置かれている社会状況が、細かく丁寧に描写されていることがよく解ります。
され、今後、樹とつぐみの交際はどうなってしまうのでしょうか…
パーフェクトワールド3巻と私【障害者の自分を相手の親に紹介する心理学】について
【※当ブログ内 漫画パーフェクトワールド3巻を読んで…の内容より転載】
さて、前回パーフェクトワールド2巻についてのブログを更新し、今回はこのパーフェクトワールドの3巻となります。
前の2巻で樹とつぐみの脊髄損傷者と健常者との恋愛において、リアルすぎる恋愛あるあるが展開されていきましたが、この3巻でその伏線が大きな節目となって表れてしまいます。
何度も繰り返しになりますが、私セイタロウも同じ脊椎損傷者として、また恋愛経験者として、このパーフェクトワールド2巻から3巻にかけての展開も似たような甘酸っぱい経験があり、このパーフェクトワールド2巻、3巻のあまりにリアルな感情の描写に、2巻同様に読んでいるこちらが切なくなり、そして、その昔の苦しんでいた若かりし頃の記憶が蘇ってきます。
その昔、私が車いすを利用するようになってから初めて付き合うこととなった当時の彼女も、今回の樹とつぐみと同じような状況になりましたが、今でも時々、あの時もっと自分自身をさらけ出す勇気があればどうなっていただろうか…と思い返す時があります。
今回のパーフェクトワールド3巻は、ざっくりいうとそんな感じです。(おそらく何の事だか全く共感を得られないと思いますが…)
また、この3巻の内容では脊髄損傷者ならではの「排尿排便障害(困難)」について取り上げられていたり、「脊髄空洞症」について取り上げられていましたが、こういった専門的知識を丁寧に調べて作品にふんだん描写されているので、全く違和感ないどころか、そのリアルがあるからこそ作品にのめり込んでいく要因でもあるように感じます。
「排便障害(困難)」からくる“摘便”については、おそらくすべての脊髄損傷者が理解していることで、樹のような青年が自分でもできる事を他人にされなければならない苦痛というか屈辱は、言葉で表現しがたい程であったと推察します。
この感情の描写もパーフェクトワールドでは、見事に描かれていたように思います。
また、個人的にはまさかこの手の漫画に「脊髄空洞症」の言葉や説明が出てくるとは…と、大変驚かされましたが、おそらく「脊髄空洞症」と、脊髄損傷者本人に聞いても何のことか知らない方も多く居るのではないかと思います。
それ程にこの作品が、丁寧な取材や調査を基に作られている作品である事が窺い知れます。
基本的に少女漫画(と限定してよいか疑問ですが…)としてのストーリーや展開はしっかりと描かれつつ、この物語の本質である「障害のある恋」について大胆かつ繊細に描かれていると、改めて実感しています。
それにしても、つぐみの両親の反応について、パーフェクトワールド3巻では世間一般的に想像できそうな展開となっていましたが、やはり手塩にかけて育てた娘が脊髄損傷者を連れてきたら…親の立場として考えたら、やはりここの判断は賛否両論に意見が分かれるポイントだと思います。
その昔、宿泊型自立訓練施設に入所していた頃に、同世代の彼女のいる脊髄損傷者やその仲間で、この問題について熱く語り明かした日々を思い出します。
結局、「なるようにしかならない」とか、「当たって砕けろ」的な根性論になってしまったと思います(笑)
もう随分と前の話ですが、私もかつてお付き合いしていた女性と結婚の約束を交わし、その後、彼女のご両親へどの様にご理解を得ていくかという事に、とても悩み、考えました。
これは、彼女と家族との距離感や付き合い方や立ち位置によって、大きく方向性も違ってくるのですが、私のお付き合いしていた彼女の場合は、彼女の意見が家族に受け入れられやすいパワーバランスを築いている女性であったので、彼女のご両親も彼女が選んだ男性であれば障害があったとしても…と、比較的受け入れていただきやすかったように思いますが、それでも家族会議を重ねる中でいくらかの反対も少なからずあったと聞いております。
そんな中で同時に進めていた作戦として、私が彼女の実家に定期的にお邪魔しに行くことによって、私自身の人となりを知っていただきご両親やそのほかご家族との距離を縮めていくという事を行いました。
これは心理学的に言うと「単純接触効果(ザイアンス効果ともいう)を利用してラポールを築く」といったような言い方をします。
初めの内は興味がなかったり苦手であった人物や事柄も、例えば出先の同じ場所でいつも一緒になるなどして何度も見かけたり、友人や知人からいつも同じ人物や事柄について聞かされていたりすると、次第に好意感情が起こるようになってくるという効果。万能ではなく、逆に敵意を抱いてしまい場合もあるので注意が必要。
心と心が通い合った繋がりを意味する心理学用語で、相手との信頼関係が保てている状態のことをいう。
※ラポールの築き方としては、呼吸を合わせる、共通点を示す、行動や言葉をまねるなどといった行動を、相手に意識されずに行うことがポイントとなります。
今となってはこの心理療法を応用したテクニックも理解していますが、私が彼女の両親へご挨拶に行った当時はこんなこと知らずに行ったので、ある意味一か八かで必死で通っていましたが、一つだけ確かなことは、心理学のテクニックを使おうと使うまいと、結局は人柄と熱意に勝るものはないという事です。
やはり人柄や熱意が相手に伝わなければ、どんなテクニックを使おうがすぐに見透かされてしまいます。
さて、またまたパーフェクトワールド3巻の内容から離れていく話題となってしまいましたが、もしもこの記事内容が障害者と健常者との恋愛において何かヒントとなっていたら嬉しいです。
それにしても、長沢さんの樹への想いと情熱もすさまじいものを感じますが…樹の態度ったら…モテる男というのは罪な存在ですね(汗)
それにしても、前作の1巻2巻に引き続きこのパーフェクトワールド3巻も、基本的に純愛をテーマとした作品ですが、読み進めていくうちに、やはり脊髄損傷者の特性や、心理や、置かれている社会状況が、細かく丁寧に描写されていることがよく解ります。
今後、二人の交際はどうなってしまうのでしょうか…樹とつぐみの気持ちを想うと…
パーフェクトワールド4巻と私【中途障害者が抱える健常者との心の壁】について
【※当ブログ内 漫画パーフェクトワールド4巻を読んで…の内容より転載】
さて、前回パーフェクトワールド3巻についてのブログを更新し、今回はこのパーフェクトワールドの4巻となります。
このパーフェクトワールド4巻については、『中途(人生の途中で障害を負った方を指す言葉)障害者の心のバリア』をテーマとして物語が展開されていったように思います。
パーフェクトワールド1巻から3巻までの流れで、つぐみと再会し、一度は幸せを手にしたものの様々な要因が重なって、結果的に…となってしまった樹とつぐみでしたが、樹の心の中ではなぜそのような結末となってしまったのか悩み考えいる中で、この作品の重要なキーマンとなる人物言葉に、自分の抱えているある想いに気づいてしまったようです。
障害者であることを過剰に意識してしまうことは
『心のバリア』を作り出してしまいます
我々がバリアを張ることで
健常者との壁はさらに高くなってしまう
パーフェクトワールド4巻より引用
作品の中でもこのように書かれている『障害者の心のバリア(壁)』ですが、このパーフェクトワールドの主人公である鮎川樹もそうであったように、『障害者の心のバリア(壁)』を作ってしまうのは先天性(生まれた状態から)障害がある方と比べて中途(後天性ともいう)障害のある方の方が、心の壁を作りやすいといわれています。
これはあくまでも一般論ですが、先天性障害がある方は生まれてから(幼児期に障害を負った方もこの分類に入ると考えて差し支えないと思います)機能障害がある状態であるために、機能障害がない状態がどのように便利で、自分が抱える機能障害がある状態がどのように不便であるかを比べる基準が自分の中にないので、『もしもあれが出来たら…』と心の中で悩みが生まれにくい状態です。
ただし、成長する段階において他の健常者の子供と関わることによって、「彼らはなぜあれが出来て自分は同じことが出来ないんだろう?…」との想いに悩まされますが、その悩みのレベルは『なぜ男ではないのか?・なぜ女ではないのか?』といった悩みに限りなく近いといっていいと思います。
そもそも柔軟性のある成長期の脳は比較的問題に対処しやすく、いつしか他人と自分が違うことが日常として受け入れて暮らすことが出来ます。
それが故に、先天性や幼少期に負った障害がある状態で大人に成長した方々は、親が擁護しすぎた生活を送らせていなければ、社会でも伸び伸びと活躍されています。
一方、人生の途中で障害を負ってしまった、いわゆる中途障害者(後天性障害者ともいう)の場合はどうでしょうか…。
中途障害者の場合、大きく分けて青年・成人期、壮年期、老年期によって受傷後の生活も大きく変わってきます。
中途障害者の受傷後の心理
◆青年・成人期(エリクソンの心理社会的発達理論によればおよそ15歳から39歳頃あたりまでの時期)の場合
この青年・成人期はパーフェクトワールドの主人公である樹が、自転車での交通事故で脊髄損傷受傷となってしまった年代です。(ちなみに私セイタロウも19歳にオートバイの交通事故で脊髄(頸髄)損傷となりました。)
この青年・成人期に中途障害(進行性ではない障害の場合)になると、受傷後しばらくはショック状態が続き、個性にもよりますが概ね数ヵ月から数年は情緒不安定な状態が続きます。
一般的には若年者ほど柔軟性を発揮して気持ちを切り替えられる方も多くいますが、若さが仇となって困難を乗り越える経験が不足しているが故に障害を受け入れられず、いつしか『障害者の心のバリア(壁)』を作ることによって現実から逃避してしまう方もいます。
さらにいえば、健常者の頃に身体的特徴(高身長やスタイルがよいなど)や、容姿(美男美女)や、身体能力に特化した状況(スポーツや体を使う仕事を得意とするなど)に自信を持っていた方ほど、障害者となってしまった自分を受け入れることが困難といわれています。
それは、それまでの人生で自分が築き上げたアイデンティティー(自分は何者であるかという概念)を喪失してしまうからに他ならない訳ですが、幸か不幸かそれ以降の人生の方が長いので、自分の殻から飛び出すきっかけがあれば、それ以降は若さが持つ柔軟性によって再び新たなアイデンティティーを築くことも可能となります。
したがって、受傷した年齢が若ければ若い程、それまでのアイデンティティーを柔軟に書き換えやすいので、障害を負ったとしてもその後に社会復帰できる確率も高くなりますが、結婚、子供、仕事の地位、社会の地位といった社会的立場が高まる程、アイデンティティーを柔軟に書き換え辛くなり、失ったものの大きさによって『障害者の心のバリア(壁)』を作ってしう可能性も高まります。(一見心のバリアがなさそうに見えても実は…ということもあります。)
パーフェクトワールドの主人公である鮎川樹でいうと、容姿端麗でスポーツマンであった彼が脊髄損傷によって車いす生活となって落胆しながらも、障害がある体と自分の心と折り合いをつけながら、あるきっかけによって徐々に『障害者の心のバリア(壁)』を取り除こうと努力している物語が、まさしくそういった状況といえるでしょう。
私セイタロウも、19歳の時に交通事故によって脊髄損傷になったのですが、やはり健常者の頃は身長も高く体力的な自身もあったので、障害者となってそのアイデンティティーを喪失してしまったことに落胆しましたが、交通事故から数年後に宿泊型自立訓練施設に入所して、同じような障害に悩み苦しんでいる人間は自分一人ではないと、その苦しみを仲間と共有できたことが大きな心の支えとなり、また、『障害者の心のバリア(壁)』を取り除こうと努力するきっかけにもなったと思います。
いずれにしても一人で悩み苦しむより、仲間や信頼できるパートナーがいれば、困難は乗り越えやすいようです。
私の場合は宿泊型自立訓練施設に入所しましたが、例えば同じような障害がある方々が参加するスポーツクラブに参加したり、SNSを通じて同じような障害を持つ方々と繋がり交流を図ったり、同じような障害を持つ方々が所属する職場や、障害福祉サービスを利用するなど、自助グループ的な関係を築く方法はいくらでもあると思います。
これは他者の意見を聞き入れることが出来る、特にこの世代の中途障害者に有効性があることですが、やはり一人で悩むよりも自助グループで悩みを共有したり話し合ったりする方が、一人で悩み苦しむことと比べて格段に悩みを解消する確率は高まります。
◆壮年期(エリクソンの心理社会的発達理論によればおよそ40歳から64歳頃あたりまでの時期)の場合
この壮年期に中途障害(進行性ではない障害の場合)になると、受傷後のショック状態の期間は確かにありますが、その後の適応方法は男女やその方の人生経験および家族構成等によって少し違った傾向があるようです。
男性の場合は社会的地位や家族の体裁を気にするあまり、ショックな状態をあまり表に出さない傾向がありますが、女性の場合は、障害を負ったことを機に気力や体力が衰えてしまう方と、障害を負っても「まあ、しょうがない…」といって感情の落ち込みがさほどなく適応できる方がいるようです。
いずれにしても、受傷後に障害者となってしまった体に対して相当の喪失感はありますが、それが表に出るか出ないか、もしくは出せる状況にあるかないかといった、青年・成人期にはない社会要因による二次的要素によって、少し複雑な『障害者の心のバリア(壁)』を築く傾向があります。
また、この壮年期からは年齢とともに重度の障害を負う程、その後の社会復帰できる確率も比例して低下していく傾向があります。
つまり、頸髄損傷の四肢麻痺といった障害者となってしまった場合、受傷時の年齢が40歳であれば社会復帰できる可能性は高いものの、64歳であれば社会復帰できる可能性は40歳と比べて格段に低くなります。
とはいうものの、この壮年期にあたる方々は比較的に人生経験豊富な方々も多いので、若い頃に困難を多数乗り越えてこられたような方であれば、比較的『障害者の心のバリア(壁)』も築かずに不自由ながらも前向きに過ごされる方が多いように思います。
逆にいえば、若い頃のご苦労が少ない方は、障害と折り合いをつける適応性が低く、年齢的に状況変化への対応力も低下しているので、いつまでも障害を負ってしまったことへの後悔や喪失感が癒えず、大きな『障害者の心のバリア(壁)』を築いてしまう方もいます。
そのような方の場合、『障害者の心のバリア(壁)』は健常者への攻撃(言葉の暴力)として表れることが多く、その行為によって自身の失った喪失感を埋めようとします。(順風満帆だった人生を送られていた方が急に重い障害がある体になるとこういった傾向がみられます。)
青年・成人期のように若い方々であればそういった行為を何かをきっかけとして切り替えられる柔軟性もあるのですが、壮年期の方々(特に男性)は柔軟性も低いので、一度そういった他者攻撃のような行動をパターン化(常習化)してしまうと、容易にその行動を変容することはありません。
つまり、青年・成人期のように自助グループで悩みを共有したり話し合ったりしても、年齢が高くなるにつれて他者の意見を受け入れられる柔軟性が低下しているために、誰が何と言おうと我が道を突き進む傾向が強く、一度築いた『障害者の心のバリア(壁)』はその後も維持されますが、老年期になるにつれてその勢いは衰えていくこともあるようです。
勿論これも人それぞれの個性にもよるので、必ずこうなるというものでもありませんが、傾向を知ればそれなりの対処の仕方も見えてくるのかもしれません。
◆老年期(エリクソンの心理社会的発達理論によればおよそ65歳あたりからそれ以降の時期)の場合
この老年期に中途障害(進行性ではない障害の場合)になると、受傷後のショック状態の期間はその後の人生においても続いてしまう傾向があります。
老年期では、それまでの人生において地位や名誉や自信等の社会的地位を高めている方もいますが、そのような方ほど障害者となってしまった後悔と喪失感は大きいようです。
例えていうならば、高い位置で物を落とす程にその衝撃は大きく、破壊力も大きくなるが故に復元も困難となる、といったことです。
さらに老年期では柔軟性が低いが故に、突如として障害を負ってしまった体に心が対応できず、そのまま精神的に衰弱してしまう方が多いようです。
元々老年期に入ると健常者であっても様々なことを諦めることによって自身の腑に落とす傾向がありますが、これが大きな障害を負ってしまったとなれば、心は必然的に諦めの方向に傾いてしまうことは否めません。
したがって、老年期の方々が障害を追ってしまうことによって築いてしまう『障害者の心のバリア(壁)』とは、強力な後悔と喪失感からくる失望感や絶望感となってしまうようです。
それでも、男性と比べて女性の方が柔軟性は高いので、失望感や絶望感も男性ほど深刻ではない傾向があるようです。
いずれにしても老年期の方が障害を負ってしまった場合は、周囲が暖かく見守ってあげることが一番なようです。
さて、またまたパーフェクトワールド4巻の内容から離れていく話題となってしまいましたが、もしも身近に重い障害を負ってしまった方がいらっしゃるのであれば、この記事の内容が少しでもお役に立てていただければ幸いでございます。
『障害者の心のバリア(壁)』について様々書きましたが、パーフェクトワールド4巻の作中でも語られていた通り、確かに障害者自身が『心のバリア』をなくすように努力していくことはとても大切なことだと思います。
それによって、健常者側も障害者に対して『心のバリア』を取り去ってくれることでしょう。
しかしそれは、1対1の顔の見える関係であれば比較的容易に通用する話なのですが、集団対集団となるとまた違った論理が影響して、理想通りにはいかなくなってしまうようです。
それでも、障害者も健常者も一人一人が『心のバリア』を取り去るように変われば、やがて世界も変わると私は信じています。
今回はパーフェクトワールド4巻の内容に沿って、中途障害者の心理を考えてみましたが、その障害者となってしまった当時者が気丈に振舞っていても、いや、気丈に振舞っているからこそ、その周囲にいる人はその障害を負った方をほおってはおけなくなってしまうのが人の心理だと思うので、このパーフェクトワールドの主人公の樹のように、自分を押し殺して直向きに生きる彼だからこそ、こんなにも魅力的な男性として映り、母性本能をくすぐる存在として成立しているのだと私なりに分析しています。
この分析を自分にも反映させたいところですが…、おじさんとなってしまった私には夢物語なのかもしれません。
あっ、私もどうやら老年期的諦め思考が芽生えてきてしまっているようです(汗)
それにしても、このパーフェクトワールド4巻も、基本的に純愛をテーマとした作品ですが、やはり脊髄損傷者の特性や、心理や、置かれている社会状況が、細かく丁寧に描写されています。
今後、樹とつぐみはどうなってしまうのでしょうか…長沢さんの動向も気になります。
パーフェクトワールド5巻と私【様々な障害と住環境】について
【※当ブログ内 漫画パーフェクトワールド5巻を読んで…の内容より転載】
さて、前回パーフェクトワールド4巻についてのブログを更新し、今回はこのパーフェクトワールドの5巻となります。
今回のこのパーフェクトワールド5巻については、前巻までの流れで樹とつぐみが別れてしまいつぐみが実家に帰ってしまった中で、そこで出会う方々との交流から新たなストーリーが派生して、気が付けばまた新たな二人の接点が…といった展開でした。
樹とつぐみの恋の行く末はさておいて、今回は主人公以外の障害者と健常者の人生のライフイベントや、ライフステージにフォーカスを当てる内容だったように感じます。
◆ライフイベントとは
生活上のさまざまな出来事。特に、結婚・就職・出産・大病など、その後の人生に影響のある、大きな出来事。
◆ライフステージとは
人間の一生における幼年期・児童期・青年期・壮年期・老年期などのそれぞれの段階。家族については新婚期・育児期・教育期・子独立期・老夫婦期などに分けられる。
というわけで、今回のパーフェクトワールド5巻を読んで想うこと…は『様々障害と住環境』について書いてみたいと思います。
早速ですが、今回のパーフェクトワールド5巻では、それまで樹の脊髄損傷という障害について様々なエピソードを通じて障害の理解が深まるように書かれていたように感じましたが、この5巻になってつぐみが実家に帰ったこともあり、父の入院先の病院で出会った進行性難病の患者について、ストーリ展開されていきました。
前巻の4巻の感想で中途障害者の感情の変化などについて書きましたが、ここでは症状固定の障害者と、進行性の障害者の心境の違いについて書いてみたいと思います。
『障害者』と一言でいっても、人それぞれ様々な要因で体が不自由な状況を強いられてしまっているので、私自身障害者という立場の人間から言わせてもらうと、それはあくまで健常者側から見た社会に適合できない者を指して健常者と区別する言葉でしかなく、それ以前に様々な思考や主義主張を持った一人の人間であることをかき消す言葉でしかありません。
女性や、高齢者や、黒人など、その言葉だけでその人間を差別的に扱う代名詞と同じだと思っています。
少し話がそれましたが、つまり障害者と一言でいってもみんな同じではなく、例えば今は一時的に不自由でも時期がくれば改善していくのか、それともこのまま一生不自由な状態が改善することなく維持してしまうのか、今不自由な状態がさらに悪くなってしまうのかによって、気持ちの安定度も、住環境も、人生設計も、大きく変わってしまいます。
このパーフェクトワールド5巻では、そういったことについて書かれていたように思います。
私セイタロウは、普段は障害がある方々の相談支援業務を担当させていただいておりますが、やはり、難病等によって障害が進行してしまう方か、障害が固定している方かといった情報は大変重要で、それによってその後の計画も大きく違ってくる場合もあるのです。
だからといって進行性の障害がある方々がすべて悲観的なのかというと、決してすべてがそうであるとは限りません。
これは、がん患者の方々にもいえることなのですが、逆に命の期限がある程度わかっているからこそ、悩んだりクサクサしている時間がもったいないと、アクティブに前向きに残りの人生を過ごされるように努力される方々が多いように感じます。
私も今、進行性の難病患者である女性の相談を定期的に受けておりますが、彼女が常日頃仰られている「せめて残されていくご主人に楽しい思い出を残していきたい」との言葉がとても印象的で、力強い彼女の原動力となっているのだと感じています。
人生の過ごし方は人それぞれで、何が正解かなんて他人が決めることではなく、ご自身が信じた道を最後まで突き進んでほしいです。
『人生はどれだけ込めて生きられるか』私の好きな江原啓之さんのお言葉ですが、このような仕事をしているとどんな障害があっても、進行性でも、障害固定でも、やはり障害等とちゃんと向き合って懸命に少しでもよりよい人生になるように込めて生きている方々は、どの方々もとても輝いていらっしゃるので、まさしくその通りだな~って思います。
私の好きな映画に『最高の人生の見つけ方』という映画がありますが、「余命6カ月で一生分笑う」とのキャッチフレーズで名優2人が好演された名作です。
難病やご病気で進行してしまうことに悲観的になってしまっているのであれば、是非一度ご覧になっていただきたい作品ですが、結局、最後に決断されるのはご自身でしかありません。
※よろしかったら下記予告編などご覧ください↓
またまた本題をそれましたが、パーフェクトワールド5巻では建築士である樹のもとに難病患者と交際されている彼が設計を依頼されるシーンがありましたが、あの時の樹の対応は大変見事であったと思います。
やはり、自分が脊髄損傷という障害があるからこその対応であったと思いますが、実は私セイタロウも福祉住環境コーディネーター2級の資格を持っているので、一級建築士の樹の足元にも及びませんが、バリアフリー住居については少しだけ詳しいのです。
自分の自宅もバリアフリー住宅になっていて、その時の建築士さんとの打ち合わせのことも思い出しますが、やはりバリアフリーの設計を依頼するならそういった案件を何件もこなした経験がある方に頼むのが一番だと思います。(中には初めてでも勉強熱心で優れたバリアフリーの設計が出来る方もいますけど)
高齢や障害がある方の住居のバリアフリー化は、一般的には不自由になってからバリアフリー化していくのが妥当です。
それは動けるのに先を見越してバリアフリー化をしてしまうと、筋力低下を速めてしまうのがその理由ですが、進行性の難病などで進行度合いが早い場合は、ある程度先を見越して変化がある都度に変更できるような設計が理想的です。
いずれにしても、ご自身ができる事ややれることがまだまだあるのに、バリアフリー化してその方のできる能力を安易に奪ってしまうのは、正しいことではありません。
しかし、バリアフリー化の工事や建築にしても費用が掛かることなので、なるべく一度にいろいろと行ってしまう方がコスト的には安くなります。
したがって、新築を機に、とか、バリアフリーリフォームを機にいっぺんに変えてしまう傾向がありますが、何も工事をするだけがバリアフリーではなく、家具配置の工夫や、福祉用具の活用によって簡易的にバリアフリー化する方法もあるので、もしもそういったことが必要となった時はバリアフリー化工事をする前に、行政などにある住宅のバリアフリーなどに関する相談窓口へ相談されることをお勧めします。
さて、今回も脱線三昧の内容となってしまい、パーフェクトワールド5巻の内容から少し離れていく話題も入れてしまいましたが、この記事の内容が少しでもお役に立てていただければ幸いでございます。
今後、樹とつぐみは新たな展開を迎えていきそうですが、どうなってしまうのでしょうか…。
私は個人的に長沢さんがタイプなので、彼女の動向も気になります。
パーフェクトワールド6巻と私【百人百様の幸福論】について
【※当ブログ内 漫画パーフェクトワールド6巻を読んで…の内容より転載】
さて、今回はこのパーフェクトワールドの6巻についてのブログ更新となります。
今回のこのパーフェクトワールド6巻については、5巻からの流れで樹とつぐみが別れて別々の道を歩むこととなった二人だったのですが、それぞれが理想とする幸福論や愛の形について樹とつぐみ個々が、それについて考えていきます。
さらに、つぐみが実家に帰ってから知り合った車いすの女性とその恋人の彼の思いに、つぐみは本来自分が思うべきだった愛の形を重ね、やがてひょんなことから樹と再会することに…。
そういった流れのパーフェクトワールド6巻だったように思いますが、今回のこの6巻の全体てーきなテーマとして、人が追求する幸福の形は決して一つではない…という人々の幸福論について、百人百様の幸福論があってよいという強いメッセージが込められているように感じました。
作中では、車いすの女性と料理人の男性の幸せの形、つぐみが周囲に同調しつつも違和感を覚えてながら整えようとしている幸せの形と、本当の気持ちが示す幸せの形との葛藤、樹が前へ進むために整えようとしている幸せの形と自分が本当に求めたかった幸せの形の再確認、是枝君がつかもうとしている幸せの形、長沢さんが必死に築こうとしている幸せの形…等々、様々な幸せの形が描かれていきます。
しかし、幸せの形は人それぞれであってよいはずなのに、自分の幸せを追求しようとすればするほど一部の人間を不幸にしてしまうジレンマ。
幸せをつかむのに、こんなにも難しく切ないものになってしまうのは…やはり、障害者と健常者との恋の難しさなのでしょうか?…。(特にこの物語では…)
私セイタロウの知る限り、やはり健常者と障害者との恋は一筋縄でいかないものもある…のは残念な事実ですが、それでもその困難を乗り越えて結ばれたカップルは、人一倍強い絆でその後も結ばれているように感じます。
しかし、同じ健常者と障害者の恋でも、何のトラブルもなくあっさり結婚まで突き進めるケースも決して珍しくないこともまた事実です。
だから、障害があるからといって恋愛や結婚を諦める必要は全くないと、私は断言できます。
さて、今回のパーフェクトワールド6巻と私では【百人百様の幸福論】について書いてみようと思ったわけですが、思い起こせば…私もその昔は脊髄損傷の障害者となってしまった時に、すべてに絶望してこの先どうやって生きていけばよいのか解らず、幸せを掴むことなど到底できるはずもないと思い込んでいましたが、結論から言うと、不思議と何とかなるものですね。
まあ、何とかなる…といった心境に行き着くまでにはやはりそれなりの時間はかかりますが、いま改めてそこの心境に行けるか行けないかの分岐点は、“幸せになりたい”と思うか思わないかが分かれ目です。
あまりにも至極当たり前なことかもしれませんが、やはり“幸せになりたい”という強い思いを持っているかいないかで、幸せになれるかなれないかが決まってきます。
人の身体の行動はその人の意志によって行動が決められますが、例えば目の前の食べ物を食べる、家の中の行きたい所へ行く、家族や友人へ電話やメールをするなど、すべて本人の意思がそれができると信じているからそれら行動を起こして願いが叶う訳です。
ところが幸せになるといったとたんにそのハードルを上げてしまう方も多いようですが、理屈としては目の前の食べ物を食べられる、家の中の行きたい所へ行くける、家族や友人へ電話やメールをすることが出来れば、欲求が叶って幸せですよね?
例えば、急にエベレストへは登れなくても近隣のハイキングコースなら登れるかもしれない…というように、高い目標を達成するにはまずは自分のできる事から始めればよいのです。
そういった積み重ねが、何とかなるといった心境になり、やがて幸せを掴むことも出来ると思うのです。
私自身もそんな自分のできる事の積み重ねを繰り返すことによって、やがて何とかなるといった根拠のない自信を持てるようになり、いつしか彼女も出来て、やがて結婚することも出来ました。(今は×1ですけど(汗)
そんなことを書いているうちにやっぱり本題からそれてしまいましたが、【百人百様の幸福論】で人それぞれの幸せを掴むためには、まず“幸せになりたい”と強く思うことから始め、自分でできる事を少しずつ達成して自信を付け、どんなことがあっても何とかなると楽天的に考えると、人それぞれその人なりの幸福が得られると私は思うのです。
障害者と健常者、障害者と障害者、健常者と健常者、どんな形であっても障壁があってもなくても、自分だけの、自分たちだけの、自分たちなりの幸せはきっとあります。
余談ですが、一言で「常識」といっても、実は人それぞれが心に描く「常識」には微妙に違いがあります。
実は「常識」って、生まれ育った環境や、親の思想や、本人の経験や、受けた教育などによって時に大きく変化する、とっても曖昧なものなのです。
だから、常識なんて実はあってないようなもの。
その常識の本質を知るだけで、人生が少し軽くなると思います。
人はもっと自由でいいんだと思います。過ぎたるは猶及ばざるが如し…ですが。
このブログ記事を書いている間に、時代は平成から令和へ変わりました。
新しい令和の時代は、今まで以上に障害があっても当たり前のように恋愛を語り合える時代になることを願っております。
そして、またまた今回もパーフェクトワールド6巻の内容から少し離れたような…離れていないような話題でしたが、この記事の内容が少しでもお役に立てていただければ幸いでございます。
パーフェクトワールド6巻の最後に大きな地震が起きてしまい今後の樹の動向が心配ですが、さてさて…どうなってしまうのでしょうか…。
長沢さんと樹の今後も気になります。
パーフェクトワールド7巻と私【災害と障害者】について
【※当ブログ内 漫画パーフェクトワールド7巻を読んで…の内容より転載】
さて、今回はこのパーフェクトワールドの7巻についてのブログ更新となります。
今回のこのパーフェクトワールド7巻については、6巻の最後で起きた震災の流れのまま、震災が起きたさなかに脊髄損傷者が巻き込まれたら…といったテーマに沿って物語が展開されていったように感じます。
災害と障害者、実は昔から障害者や高齢者や子供(場合によっては妊産婦や乳幼児のいる親子や病人やけが人も含まれます)などのいわゆる弱者といわれる人たちは災害に弱く、災害において逃げ遅れたりの被害に遭いやすく、さらに避難所でも環境に馴染めずに衰退しやすいという二次的な被害にも遭いやすい存在といわれています。
このパーフェクトワールド7巻では、まさしく災害弱者となってしまった樹が、災害時の直接被災と避難場所での二次的被災について、脊椎損傷者が直面する課題がリアルに描かれていました。
今回、地震という災害によって、家庭内における家具転倒による車いすからの落車といったような描かれ方をされていましたが、脊髄損傷者の上位部位損傷者(頸髄損傷者等)でなければ、車いすから落車したとしても比較的容易に車いすを立て直して座りなおすことは可能です。(あくまでも現実の話で打ちどころによっては難しい場合もあります)
そして、とてもリアルだと感心した内容としては、障害がある人間は被災時困らないように常日頃から準備をしているといった点です。
無論、すべての方々がそうしている訳ではありませんが、地震、火事、豪雨災害(洪水・津波)にあったら、どのように行動や避難するべきかを多くの障害を抱える当事者や家族は考えていると思います。
私セイタロウも脊髄損傷者(頸髄損傷)ですが、もしここで津波にあったらとか、火事にあったらなどと想定して、「その時は自分を置いて逃げて!」と常日頃から言っています。
実際にそれが周囲が出来るか出来ないかはさておいて、いざとなった時に私が逃げ遅れて家族を巻き込んでしまうのは心苦しいし、仮に私一人で被災して万回一のことがあったとしても、普段から「その時は自分を置いて逃げて!」と言っておくことによって、助けてあげられなかったという周囲の罪悪感を少しでも緩和できるのではないか…と思っています。
まあいざとなったら、必死の形相で助けを求めているかもしれませんけど(笑)
それにしても、障害者等の災害弱者にとって災害=命に直結する問題となりうることには間違いありません。
災害弱者(さいがいじゃくしゃ)とは
災害時、自力での避難が通常の者より難しく、避難行動に支援を要する人々を指す。 防災行政上は、要配慮者と言う。
日本では、災害対策基本法第8条に明記されており、また同法49条の10では要配慮者の中で特に支援が必要な者に関して市町村が「避難行動要支援者名簿」を作成することを定めている。(引用:Wikipedia)
上記『MEMO』内に記載がありますが、平成26年4月の災害対策基本法の改定によって各市町村では「避難行動要支援者名簿」を作るように決められています。
これによって、どの地域にどの様な障害者や生活不自由者が暮らしているのかといった情報を市町が把握するきっかけ(それまでは無把握)となったのですが、この名簿つくりも市町によって温度差があり、毎年熱心に名簿を更新する市町もあれば、数年に一度郵送で一斉配布して、返信があった家庭しか登録しないといった市町もあります。(私の住んでる市町は残念ながら後者です)
ちなみに、個人情報保護法では防災や災害に関する情報整備等を目的として、警察や消防等が災害弱者等の情報を収集することは可能となっているので、行政側が本気を出せば災害弱者のいる家庭の把握はできるはずなんですけど…ね。
それでも、避難行動要支援者名簿がある程度そろっていたとしても、直近の住所変更や旅行者などについては対応しきれないことは事実です。
このパーフェクトワールド7巻でも、樹が東京の住まいから一時的な要件によって実家に帰ってきているといったケースの場合、そこで災害にあってしまえば確かに避難行動要支援者名簿に載っていない可能性があるので、救助優先者名簿からは外れてしまっているでしょう。
そうやって考えると、災害弱者といわれる人たちは常日頃から近隣住民と顔の見える関係を構築し、いざ災害に遭ってしまった際に「あそこのあの人大丈夫か?」と、近隣の方々に気にかけてもらえるように努力する必要もありそうです。
さて、次に受災時に困難となってしまうのは、避難場所でしょう。
このパーフェクトワールド7巻でも描かれていましたが、障害者等が被災地において送らざるを得ない避難生活は、これまた相当な困難を要する課題の一つです。
作中では、いったん樹たちが近隣の避難所で落ち着こうとしましたが、樹自身も自分の身体が一般的な避難所に耐えられなかったことを瞬時に思い出し、やむを得ず病院などで開設している福祉避難所へ移ることとなっていました。
福祉避難所(ふくしひなんじょ)とは
高齢者、障害のある人、妊産婦等の要配慮者は、一般の避難所では、バリアフリーの設備がない、介助する人がいない、介護・衛生用品等の備蓄がないなどの理由により、避難生活に支障をきたします。
災害発生時に、要配慮者が安心して避難生活を送るために、バリアフリー化され、福祉サービスが受けられるなどの福祉避難所が必要となります。
福祉避難所の対象となる方は、要配慮者のうち、身体等の状況が特別養護老人ホーム、老人短期入所施設等へ入所するには至らない程度の方で、避難所での生活において特別な配慮が必要な方です。
昨今、このような福祉避難所の重要性が理解され、各都道府県ではマニュアルなども作成されて、災害時に要配慮者(災害弱者)を受け入れる施設の整備を行っており、近隣の都道府県と協力して緊急時には互いに助け合えるような協定も結ばれています。
樹が最終的にヘリコプターに乗って東京の病院へ移らせてもらえたのも、恐らくそういったマニュアルや協定がなされていたから、あのように迅速に対応してもらえたのだと思います。
それにしても、樹が自分の身体がつらい状況にあるにもかかわらず、高齢の女性にベンチを譲る場面などもありましたが、もしも自分だったらあのように行動できるだろうか…と、今回のパーフェクトワールド7巻を読んでも、やはり私自身が考えさせられることも多く、樹の人間性の素晴らしさにも尊敬の念を抱きます。
さて…、今回はパーフェクトワールド7巻の内容が災害についてということで、少し違った視点から内容を紐解いてみましたが、この記事の内容が少しでもお役に立てていただければ幸いでございます。
パーフェクトワールド7巻の作中に、長沢さんが「大きなことが起こると、人ってどこか変わってしまう…」と心配していましたが、さてさて…どうなってしまうのでしょうか…。
パーフェクトワールド8巻と私【時の流れと心の変化】について
【※当ブログ内 漫画パーフェクトワールド8巻を読んで…の内容より転載】
さて、今回はこのパーフェクトワールドの8巻についてのブログ更新となります。
今回のこのパーフェクトワールド8巻ですが、7巻の最後に是枝君のところへ向かうはずだったつぐみが、樹の玄関の戸の前に立っていた…といった物語が展開されていきますが、周囲の環境の移り変わりや当事者それぞれの想いのうねりのようなものが、時の移り変わりとともに変化して行く様が、この8巻の中で大きく変化して行くという、物語の大きな変換点となった展開だったように感じます。
パーフェクトワールド8巻の前半に出てくる復興を願うキャンドルナイトの場面にて、樹が言った言葉がとても印象的で、私セイタロウとしても深く共感いたしました。
「取り返しのつかないこと それがあったうえで生きていくからこそ 人生だからなのかな」
「忘れることが幸せにつながるとは思えなくて… 失ったものを見つめながら どう生きていくのか答えを出してゆく…」
引用:パーフェクトワールド8巻より
樹も若くして交通事故によって脊髄損傷となってしまい、受傷当時は「あんなことさえなければ…」と後悔ばかりの日々が続いたことでしょう。
私セイタロウも同じく、あの事故さえなければ…、あの日をやり直せるなら…、などと初めの内は後悔ばかりの日々を過ごしていましたが、今になって思えば、その苦しんだ日々があったからこそ、他者の心の苦しみも理解できるようになり、人生いつ何時何があるかわからないから、“今できる事を今しておこう”という気持ちにもなることも出来ました。
人は誰しも、今日出来ることが明日も出来る保証はなく、また、今日出来なかったことが明日出来る可能性もあるのです。
これは至極当然なことなのですが、このこと本質を理解して計画的に行動するか、はたまた無理解でダラダラと無計画に行動するかでは、その後の人生に大きな差が生まれることは間違いありません。
つまり私は、その本質に気づいてから“後悔している時間”すらもったいないと思えるようになったわけですが、その本質を掴むためには、困難な出来事や、深い悲しみや辛い経験や、悩み苦しむ時間がなければ、その答えを掴むことは出来ないので、やはり人生において一見無駄に思える出来事や行為であっても、それは決して無駄ではないとも言えます。
人生に起こるすべての出来事は必然で、その人にとって必要なことが必ず起こるべくして起こると考えると、どんな困難な出来事が来ても、“さて、どうやって乗り越えてやろうか!”と、わくわくした気持ちで困難を迎えることが出来ます。
とはいうものの、あまりに大きな困難だとやはりたじろぎますけど…。
さて、話を本題に戻すと、樹とつぐみも時間の流れとともにそういった困難と立ち向かい、もしくはこれから立ち向かおうとする決意を固めて、新たな人生を力ずよく前へ進むために二人で答えを出したのでしょう。
そして、このパーフェクトワールド8巻を読んでいてもう一つ心に残った点は、看護師時代の長沢さんが患者さんに元気を持ってもらおうと企画した、「よさこい」の演技構成でした。
1、ショック期(病気や事故に見舞われてしまった後)
2、治療期(現状を受け止め 勇気を出して立ち上がろうとする)
3、回復期(社会復帰に向け 前向きに取り組んでいこうとする)
上記のリハビリにおける人の気持ちの移り変わる様を、3部構成に分けて踊りで表現していました。
長沢さん達が患者さん達のために踊ったこの「よさこい」の表現は、大変わかりやすくて患者さん達の心にスッと落ちていったようですね。
現在のリハビリ病院も概ねこういったことを基盤として日々リハビリに励んでいただいていることかとは思いますが、実際のところリハビリ病院には、機能低下が迫っている病気の方や、高齢によって先の希望が持ちにくい方々もいらっしゃるので、誰しもがこういった流れで行けるとは限りません。(いちゃもんではありませんよ(汗)
また、高齢になってから(もしくは高齢ではなくても)重い障害を負ってしまうと、ショック期が長く続き、場合によっては治療期や回復期へと気持ちを移行できない方がいることも事実です。
だから、その方それぞれの状況を鑑みて、現状維持や、低下していくにしても緩やかに低下するように、低下の速度を弱めるリハビリというのもあります。
つまり何が言いたいのかというと、人それぞれ心の柔軟性や症状や環境が違うので、誰でも一律にリハビリを頑張れということは、人によって大き下ストレスとなることも多く、特に1番のショック期の時期に「とにかくリハビリ頑張れ」みたいな声掛けは、かえって逆効果であるということもご理解いただきたかったのです。
まあ、私が交通事故をした30年弱前はとにかく「若いんだからリハビリ頑張って社会復帰しろ!」と首根っこ掴まれて、自分は自衛隊にでも入隊したのか?と勘違いするほど、半ば強制的に来る日も来る日もリハビリを嫌々行っていましたが、今思えばその時のショックを抱えている心が随分と置き去りにされていたんだな…と感じます。
最近は、臨床心理士などの心理相談員が在籍している病院も増えてきているので、私が事故をした当初の時代から比べれば、少しはリハビリに取り組みやすい環境が整えられているようにも感じます。
いずれにしても現代においては、「○○だからこうしなければいけない」といった理屈は、通用しずらくなってきている時代なのではないかと、社会福祉士である私は思うのです。
とはいうものの、その首根っこ掴まれてリハビリを行ったからこそ、今の自分があるともいえるので、自分が言っていることの矛盾に対して不快感が否めません(笑)
しかし、人は自分の行動に理由や意味付けをすることによって、次なるステップに進めるようになるので、例えどのような選択を選んで思うような方向に進めなかったとしても、次に違う選択をして、軌道修正をしていけばよいのです。
人生は選択の連続で、いつどの時点からでも人生はやり直せます。
したがって強引に結論付けると、いつでもどのような選択ができるように、この道を進めばこのようになる可能性があると、情報提供をしていただいたり、自ら積極的に情報収集を行い、自分が選んでその道を自分の責任において進んでいくという、意志が必要なのだと思います。
良い意味でも、悪い意味でも、自己責任の時代なのかもしれません。
そういった意味では、樹もつぐみも、是枝君も長沢さんも、圭吾さんも楓さんも、時の流れとともに様々な思いと向き合いながら、心の変化に決着をつけて次なるステップに進むための選択をしていったのですね。
さて…、今回はパーフェクトワールド8巻の内容について私セイタロウなりの視点で内容を紐解いてみましたが、この記事の内容が少しでもお役に立てていただければ幸いでございます。
さてさて…今後、樹とつぐみに行く末はどうなってしまうのでしょうか…。
つぐみのお父さんは、はたして…。
パーフェクトワールド9巻と私【脊髄損傷者と健常者との結婚】について
【※当ブログ内 漫画パーフェクトワールド9巻を読んで…の内容より転載】
さて、今回はこのパーフェクトワールドの9巻についてのブログ更新となります。
本日、令和元年6月25日現在でこのパーフェクトワールド9巻が最新刊となり、樹とつぐみの純愛もこの時点でのハッピーエンドという形で、一旦仕切られる形となっております。
作品としてはまだまだ先がもう少し続くようですが、今現在、放送されているテレビドラマも、本日6月25日が最終回となるようですね。
さて、このブログではパーフェクトワールドの漫画単行本に沿ってブログ記事を書かせていただきましたが、それもこのパーフェクトワールド9巻で一旦区切らせていただきます。
今回のパーフェクトワールド9巻では、前巻からの流れで、樹がつぐみに父に結婚の承諾をもらうために訪れる場面からのスタートとなりましたが、やはり、というか、ストーリーの設定上は簡単に父の許しはいただけないようですね。
あえて、ストーリーの設定上という意地悪な書き方をしてしまいましたが、確かに実際にこのように結婚の許しをいただくにあたって、大変な困難を要することもあれば、拍子抜けするほどあっさりお許しをいただける場合もありますが、近年は同性愛も寛容になってきている世の中でもあることが影響しているのか、障害者と健常者との結婚についても本人同士が好ければ、といって許していただけるケースも増えてきているように感じます。
とはいうもののやはり、その障害当事者のお人柄によるものだと思います。
ちなみに【障害者の自分を相手の親に紹介する心理学】については、下記記事をご覧ください。
このパーフェクトワールド9巻では、最終的にハッピーエンドで終わっていきますが(ネタバレですか?…)、私セイタロウもその昔、結婚式を挙げたことを思い出します。(今はバツイチですけど)
車いす利用者の私が健常者の女性と結婚するにあたって、15年ほど前の話ですがバリアフリーの場所を探すのに苦労した覚えがあります。
まあ、今でこそバリアフリーやユニバーサルデザインはかなり浸透してきましたが、わずか15年前の話でも、場所によっては車いすでは全く自由に動くことのできない会場や、そもそも衣装を選ぶ段階からエレベーターが付いているかの確認や、多目的トイレが整備されている場所が限られていたりと、様々な苦労があったことを思い出します。
しかし、その時に二人で様々なところに出向き、いろいろと下見をさせていただくうちに、さらに二人のきずなが強くなっていくような感覚があります。
また、彼女のたっての希望でハワイ挙式にもチャレンジしようということとなり、ハワイ挙式に強い結婚式紹介場に足しげく通いましたが、その時の担当者さんもとても親切な方で、僕たちの希望を叶えようと現地スタッフと密に熱心に連携を取ってくださり、僕たちの希望する歴史ある教会で結婚式を行うことも出来ました。
ちなみに新婚旅行などとセットで組み込めば、ハワイ挙式自体はそれほど金銭的負担も大きくなく挙げることが出来るのですが、たとえハワイといえども歴史ある教会の建造物は大抵バリアがあり、車いす利用者の僕にとっては困難な教会ばかりで、教会選びにはとても苦労したことを思い出します。
いくつか候補はあったのですが最終的に、オアフ島にあるセントラルユニオン教会の大聖堂で挙げることになったものの、残念ながら教会の出入りは正面の階段からではなく、脇の通用門からの出入りとなってしまいましたが、僕たち二人にとってそんなことは何の問題でもなく、ただハワイの教会で結婚式を挙げれたこと自体で大満足だったのです。
その日はどこへ行っても、見知らぬ多くの方々から祝福の言葉をかけていただき、人生で一番幸せだと思える日でした。
車いす利用者の方で、ハワイ挙式を挙げたいと願っている方は、是非こちらをご検討してみてください。
教会の外観も内装も、いい意味でハワイらしくなく教会で、その場所だけ時が止まったような不思議な雰囲気と趣がある教会です。
さてさて、パーフェクトワールド9巻の内容に沿って書くつもりがすっかり昔の思い出に浸ってしまいましたが、いい意味で気持ちを切り替えて、樹とつぐみのように私も次なる相手と再びこんな素敵な場所で結婚式が挙げられるように頑張りたいと思います。(夢を見るのは自由ですから…)
パーフェクトワールド9巻の最後では、是枝君も長沢さんの関係も気になるところですが、作品はもう少し続くようなので、今後も益々期待しております。
と、いうことで…、今回はパーフェクトワールド9巻の内容について私セイタロウなりの視点で内容を紐解く…というか、自分の良かったころの思い出に浸ってしまいましたが、このような記事の内容でも、少しでもどなたかのお役に立てていただければ幸いでございます。
今後の展開は、はたして…。
まとめ
以上が本作品を読んだ私の感想となります。
テレビドラマの方もかなり盛り上がっているようですが、最近街を一人で散策していると、ドラマが始まる前と比べて明らかに注目されているように感じ、少し困ったそぶりをすると、すぐにどなたかがお声掛けくださりお手伝いしていただけるようになりました。
これもこの作品がってこそだと思い、こういった作品の影響力を改めて実感いたしますが、願わくば一時的なブームで終わっては欲しくないものです。
それは自分本位なわがままでしょうか?…。
こんな時代が来ることを、あの時の自分に教えてあげたくなります。
ご参考までに私が交通事故のあった時の状況は以下の記事をご覧ください↓
この記事をお読みくださった皆様は、どのようにお感じになられたでしょうか…。
繰り返しこういったことを書きますが、障害があっても、生きづらさがあっても、生きる意味はきっとあり、恋愛だってあきらめることはないと強く言いたいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
セイタロウ
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2019年3月現在に9巻まで発刊されております。
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