この記事は、障がい者生活著者および管理人【セイタロウ】の交通事故体験回想記です。
平凡でフワフワした生活を謳歌していた19歳のとある日、
人生を大きく変えるバイク事故に遭遇してしまったのです。
あれは、平成に入って間のない10月の秋の夜、当時勤めていた工場の夜間勤務、休憩時間中、深夜1時過ぎの出来事ででした。
購入して1週間目のSUZUKI“V”γ(ガンマ)にまたがり、母に作ってもらった持参の弁当以上の食欲求を満たすべく、近隣のコンビニへ後輩バイカーと競いながら買い物に行った帰り道、赤信号につかまった際に後輩バイカーへシグナルレース(信号が青になったらスピードを競い合うレース)を持ちかけたのです…。
先輩の圧力に断る余地のない後輩バイカーは申し出に快諾し、青に変わる瞬間を虎視眈々と待つ二人のバイカー。
信号が青く変わった瞬間、先輩のプライドをあざ笑うように後輩バイカーが好スタートを切り、必死に出遅れを補おうとアクセルを振り絞る先輩。
必死の追尾姿をサイドミラー越しに見た後輩は、その後の先輩からの態度を想像するとともに、必然的にアクセルも緩めていたが、そんな後輩の想いを爆音でかき消しながら先輩のバイクが後輩をぶち抜いていく。
すでに勝敗は明らかであったが、出遅れたプライドを取り戻すようにさらに爆音を響かせた先輩は、曲がるはずだった交差点も間違えるほどアドレナリンが出ていたのであった。
仕方なく先輩の後を追う後輩は、その直後に思いもよらず、一生忘れられない光景を目の当たりにしてしまう。
キィーーーーッ!! ガッシャーーーーン!!
キュキュッ! キィーーーーッ!! ドォーーーーン!!!
ドサッ…。
一瞬の出来事だった。
気が付くと次に曲がるはずだった交差点内で、先輩のバイクは大破してワンボックスカーの前に倒れており、先輩はワンボックスカーの十数メートル手前でグッタリと横たわっている。
まるで時が止まったかのように、すべての動きが止まっていた深夜1時過ぎ。
そんな中、停まっているワンボックスカーの数台後方からモノクロの車が動き出し、次の瞬間、上部が赤く点滅しだした。
偶然にも、飲酒検問帰りのパトカーが事故を察知して動き出したのである。
後輩の動揺をもろともせず、手際よく交通整理をして現場保持をする制服警官。さらに間もなくして、けたたましくサイレンを鳴らす音が遠くから近づいてきた。
なすすべなく立ち尽くす後輩は振り絞る思いで、地面に横たわっている先輩が自分の連れであることを告げ、ぶちまけたジグソーパズルのように錯乱した記憶のピースを、一心不乱にはめ込むように制服警官に状況説明し、程なく到着した救急車によって先輩は一言も声を出さずに搬送されていった。
ほんの数十分の出来事であったが、後輩にはとても長い時間に感じられただろう。携帯電話もない時代、夜間勤務休憩時間を大幅に超えて工場にたどり着いた時、後輩は責任者へ涙ながらに出来事を説明し、その夜のその工場の生産性は著しく低下したという。
気が付くと誰かが呼ぶ声が聞こえた。
「大丈夫?」 「ここがどこかわかる?」
ゆらゆら揺れながら、ピコピコ、ガーガーと、うるさい音が聞こえる白で囲まれた狭い空間の中で、男性の大声が聞こえる。
また、男性の大声が聞こえる。
「お名前言えますか?」
なまえ?。誰の?。俺の?。そんなことをぼーっと考えてるうちに、隣にいる別の男性が俺の名前と同じ音を出している。
あっ!、その音、俺の名前の音だ…。
さらに男性の大声は「住所と連絡先は言える?」と誰かに聞いている。
すると、再び隣にいる男性が、俺の住所と電話番号と同じ音を出している。
あっ!、その音、俺の住所と電話番号の音だ…。
そうか、この隣にいる男性は、俺の情報を大声の男性に教えているんだ…と、悟った。
でも待てよ、なんでこの隣にいる男性は、俺の名前や住所を知っているんだ?
不思議に思って隣を見ると誰もいない。しかし、引き続き俺の情報を隣の男性がしゃべり続けている。
まてよ、この声…聞き覚えがあるぞ…。 あっ!これ、俺の声だ。
そして白くて狭い空間の中、意識は途切れた。
再び気が付くと、景色が下から上へと流れていた。
俺は、ストレッチャー(キャスター付き寝台)に乗せられて、何人かの人に囲まれながら廊下を移動しているんだと認識できた。
先程の白くて狭い空間からどれほどの時間が経過したのかわからないが、今は、自分が自分の中にいて、自分の中から廊下の天井を見ているのだと、おぼろげに理解できた。
しかし、なぜこのようにストレッチャーに乗っているのかわからない。なぜ、何人かの人に囲まれているのかわからない。なぜ、その何人かの人が慌ただしく必死に何かに取り組んでいるのかわからない。
そして俺の身体は、白くて大きいドーナッツ状の機械がある何かの部屋らしき場所へ運ばれていた。
近くにいた女性が「もう少しで検査が終わるから、苦しいと思うけど頑張ってね!」と、俺の顔を覗き込みながら語りかけてきた。
検査? 苦しい? 頑張る? 言葉の意味は何となく理解できるけど、なぜ自分にそんな語りかけをしてくるのか…。
そして周りにいた何人かの人が俺の身体らしき物体を、大切な荷物のように白くて大きいドーナッツ状に機械の手前にある台に乗せた。
何人かの人で動かされている物体は、どうやら俺の身体のようだが、本当にそれが自分の身体なのか…確信が持てない。そんなことを考えているうちに、また、さっき移された台からストレッチャーに移されている模様。
しかし、何をされているのか、全く理解できないが、なぜだかとっても寒い。だから早く暖かいところに連れてってほしい。
そのタイミングで、白くて大きいドーナッツ状の機械だある何かの部屋らしき場所から、ようやく別の場所へ移れるようだ。
あぁ、またさっきの廊下か…。
また下から上へ景色が流れはじめると、どこかで見覚えのある男女二人が悲しげな顔で俺のかをを覗き込んできた。
あれ!、この人たち誰だっけ?…。あっ、父と母だ!
涙ながらになにか語りかけられたけど…なんで?何を言ってるの?理解できなかったけど、それでも「頑張って!」だけははっきりと理解できた。
さらに、見覚えのある年配の男性達も俺のかをを覗き込み、「とにかく頑張って!仕事のことは心配いらないから!」と言っている。
あれ、そういえば仕事中だった気がする…。そうか、あの人達は会社の上司だ!
なんで父と母と一緒にいるんだろう…
もう訳がわからないが、なにか大変なことになってる気がする…。
■検査結果■
・第5及び第6頚椎脱臼により中枢神経損傷
・第5頚椎亀裂骨折
・胸部打撲による肺水腫
・左脛(スネ)骨折
この日の検査で上記の症状が確認され、特に胸部打撲による肺水腫が生命維持に関わる深刻な症状で、両親へは「いま生命維持しているのも不思議な状態であり、ここ数日が山です…」と告げられ、続けて「今のままでは1週間持つかどうかという予断を許されない状況なので、覚悟はしておいてください…」と医師から告知を受けていたとのことであった。
その日、その夜の出来事は未だに断片的な記憶しかありません。
さらに、それから数日の記憶もあいまいですが、意識もあり親とも会話をしていたそうです。
事故から数日後、ようやく自分の身に何が起きたのか理解でき、自分の身体に感覚がなく、自らの意思で動かせないことに気が付きました。
その後の検査で、奇跡的に肺水腫は姿を消し、予断は許さないものの山は越えたとのこと、生死の瀬戸際だったことを母から告げられました。
今でもはっきり覚えているのは、息苦しさ、頭にネジを付けられおもりを吊るされて首を引っ張られている違和感、頭や顔がかゆくても自分で掻くことのできないもどかしさ、ピコピコとうるさい機械、たくさんのカラフルな点滴、頻繁に病室に出入りする医師や看護師、平静を装う母、殺風景な天井。
当時は、すり傷や骨折が治るように、この動かない身体もそのうち動くようになるだろう…と、軽く考えていましたし、苦労も多かった職場から少し離れることが出来る安堵感で、ほっとした気分でいました。
その後ずっと歩けないことなど、考えもしていなかった…
19歳のとある日の出来事。
Leave a Comment