【雑記】あれから29年目になった 新たな障がい者生活の始まり

はじめに

障がい者生活のセイタロウです。
このブログのこの記事をご覧くださりありがとうございます。

私は、頚椎損傷(受傷部位:C6)四肢麻痺という比較的重度な身体障害がある手動車いすユーザー です。

幸い頭は何とか無事だった?…ので、普段は障害のある方々の支援をする某障害者生活支援センターに勤務して相談支援業務を行っておりますが、そういった日々の業務経験を積み重ねるうちに、いつしか社会保障制度や社会福祉全般に詳しくなり、気が付けば社会福祉士という資格も取得することが出来ていたのです。

そんな私セイタロウが、そういった仕事を通じて、身体、知的、精神という障害がある方々の支援をさせていただくうちに、今まで気が付かなかったような様々な世の中の仕組みのようなものに注目するようになりました。


参考
セイタロウのプロフィール障がい者生活管理人&著者セイタロウの自己紹介

あれから満28年を迎えて

ここしばらく新たな資格取得を目指そうと試験勉強に集中するあまり、ブログ更新が愚かになってしまったセイタロウです。

試験の方は、先の甚大な被害が出た台風19号によって中止となってしまい、その後の予定も全くわからないままに、この中途半端な気持ちの持って行き所に困っていますが、70名を超えるお亡くなりになられてしまった方々や、いまだに避難生活や困難な生活をされている方のことを想うと、試験の中止ぐらいで文句を言っている場合ではありません。

とにかく一日も早い台風被害の復興を願うばかりですが、また新たな台風も発生してしまっているようなので、これ以上被害が出ないことを祈るしかありません。

さて、私個人的には試験が中止になった以外に、気が付けば令和元年10月19日をもって、平成3年に私が19歳の時に交通事故に遭ってから丸28年が経過し、本日10月20日より29年目を迎えております。

28年、29年と聞くと、個人的にはもうそんなに経つのか…との想いですが、振り返ると自分はその歳月を有意義に過ごせていたのか、正直不安しかありません。

しかし、それは比べる対象が同い年の同級生や、同世代で社会で活躍しておられる方々と比べてしまうがための不安でもありますが、よくよく考えれば、私のような人生経験をした方はほかに居ない、というか、できないので、そもそも他者と比べること自体がナンセンスなのかもしれません。

改めて、私が19歳で交通事故に遭って頸髄損傷となった時の状況は、下記のページにてご覧いただけます。

唯一無二の経験。

人は誰しもその唯一無二の経験によって、人それぞれの経験によってそれぞれの人生を過ごしているので、自分が他者と比べてどの位置にいたとしても、自分自身を見失わずに生きていきたいものです。

障害者となって28年が過ぎて29年目の年を迎えるにあたって、そんなことを何となく学べてこれたように感じます。

思えば28年前の10月19日、交通事故によって健常者から障害者となってしまった私には、この障害を持った身体で生きて行く意味を見出せずに、途方に暮れることしかできませんでしたが、こんな私を支えてくれた家族や友人がいてくれたおかげで、何とか前へ進むことが出来ました。

始めの5年くらいは体調も安定せず、感染症や骨折などが絶えず何度も心が折れて、日々生きることが苦痛で仕方がなかった時期でした。

その後5年ぐらいからは、ようやく体調も徐々に落ち着き、車いすへの乗車時間が日に日に伸びていき、自分のできる事も一つ一つ増えて生きました。

事故から約10年後、住宅改修も終わって事故後初めて実家へ家庭復帰したときはそれなりに嬉しさもありましたが、やはり期待より不安の方が多かったのは事実です。

まだまだバリアフリーが今ほど整っていなかった街中へ出ても、自分が障害者であることをまざまざと実感せざるを得ず、しばらくは家で引きこもっていた時期もありました。

そんな中、このままではいけないと一念発起し、今できる事を少しずつ自分のものにしていこうと決意し、自分自身の内なる恐怖と立ち向かえるようになってからは、人生が好い方向へ好転していったように思います。

その後の活動についてはプロフィールにも記載していますが、そこはやはり前妻の支えなくしては考えられません。

今となっては、残念ながらお互い違う道を歩むこととなってしまいましたが、私がプロフィールに書いてあるような活動が出来たのは、間違えなく前妻の支えがあってこそなので、前妻には感謝してもしきれない想いです。

今は別々の道を歩むことになってしまいましたが、やはり人生において良きパートナーと一緒に暮らすということは、自分自身も相手も成長できるWinWinな相互関係も築け、かけがえのない時間を過ごせるので、最終的な結果はさておいても、有意義な結婚生活が僅かな期間でもおくれたことは、自分が人間的に大きく成長できた要因の一つだと思っています。

今現在の仕事とこれから

そして今現在、障害者相談支援事業所に勤務して毎日仕事に追われる日々を過ごしています。

ちなみに、障害者を支援することがメインの職場において、意外にも職場内では私が唯一の障害者なのですが、当初は周囲の方々に自分を知ってもらうことに少し苦労はしたものの、今ではすっかり職場の一員として認めていただいていると実感でき、周囲の適度でさりげないサポートに支えていただけながら、いい意味で私の仕事がやりやすいように自由に仕事をさせていただいております。

このような状態で仕事をさせていただくまでは、それなりに紆余曲折ありましたが、今思うと、自分のできる事とできない事を積極的に自分から発信し、また自分自身も周囲の方の手助けとなるように自分や出来そうなパソコン事務や相談業務は積極的に行っていきました。

そういった日々の積み重ねが功を奏してか、今ではとても良い状態で持ちつ持たれつの職場状況を構築できたように思います。

障害者であろうと健常者であろうと、同じ給与をもらう立場として、どちらかが負担に感じてしまうようではこのような好ましい状況は構築できなかったように思いますが、少しでもお役に立てれば、という気持ちを持って積極的に仕事をこなしていけば、見ていてくれる方はちゃんと分ってくれるものだと確信しています。

これからもまだまだ安泰ということではないので、自分に甘えず、積極的に必要とされる仕事をこなせるように努力していきたいものですが、いつまでできるのか…といった不安もあります。

実はまだまだある日突然、働けなくなってしまう程に体調が悪くなってしまう可能性もありますが、自分が悔いの残らないように、今この一瞬を誠実に過ごしていきたいと思います。

まとめ

今回は、全く個人的な振り返りというテーマで書き綴ってしまいましたが、私なりに生きてきたここまでの軌跡を残してみようと少しだけ書いてみました。

障害者として生きなければいけなくなったあの時の自分には、今の健常者に囲まれながら仕事をしている自分なんて想像すらできないと思うけど、自分のできる事を一つ一つ積み重ねていけば、こんなことも出来るようになるんだと、当時の自分に教えてあげたい気持ちです。

もしも、同じように悩み苦しまれている方がいらっしゃれば、この記事が少しでもお役に立てるものであったら嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございました。セイタロウ。

セイタロウ

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